地元農産物をブランディング。現代に合った農法を模索し美味しさを追求「梨づくり」次の100 年への物語

公開日:2023年4月14日

このシリーズでは、日本各地で(地域密着で)頑張っている食品会社などを取材し、歴史や取り組み、新たな動き、今後の展望などを紹介します。今回は、佐賀県伊万里市で農家を営む人たちで起業したという大川三世代の田代さんに発足のきっかけや取り組みについてインタビューしました。

地元農産物をブランディング 大川三世代(佐賀県伊万里市)

「先代が築いた梨づくりを次代にバトンすることが使命」そう話すのは、佐賀県伊万里市大川町で特産物の「伊万里梨」を育てている田代慎仁さん。伊万里梨の新たな流通ルートとして立ち上げた「大川三世代」の代表も務めている。

全国各地で農業の後継者問題が深刻化する中、ここ伊万里市でも若者の農業就業率は減少の一途をたどっている。「自分たちの世代で終わらせたくない」その強い思いと、「楽しめる農業を」という探究心が求心力となり、共感する人たちが自然と集まった。農業の活路を見出している「大川三世代」。発足のきっかけや生産者としての思いなど、代表の田代さんにインタビューしました。

大川三世代とは

農業を魅力的なビジネスに変え、自ら育てる果物のブランディングとして2004年に誕生。

ブランド名には地域名の「大川」に、三世代続く梨づくりの百年の歴史と、次の百年に受け継ぎたいという思いを込めて「三世代」をあわせた。

現在、梨農家3人といちご農家1人のメンバー4人を中心に、ブランド「大川三世代」として、梨の販売やスイーツの販売など、ECサイトを中心に展開中だ。シーズン中には、観光農園で梨狩りも楽しめ、併設しているカフェも賑わうと言う。

江戸時代から続く伊万里梨の生産

佐賀県伊万里市は、呉須の藍と鮮やかな赤の配色が美しい「伊万里焼」が有名な焼き物の街。
そんな多くの窯元がある伊万里市中心部から、少し北東に位置する大川地区は、三方を山に囲まれた盆地で、果物の栽培に適した環境だ。

明治39年、山間部の厳しい暮らしを改善しようと先人たちが梨の植栽を奮起。必死の思いで山を切り開き「伊万里梨」が誕生した。全盛期には100件もの生産者がおり、全国に美味しい梨を出荷していたという。

次代の担い手を育てたい

高齢化の問題もあり、現在の生産者数は全盛期の10分の一ほどにまで減少している。
「農家を継ぐ」という、ひと昔前には当然だった慣例はなくなり、耕作放棄地も増えた。

伊万里市だけでなく、日本の農業の大きな課題”担い手の不足”は、国内の食糧自給率を下げることに直結している。現在の日本では、およそ半分以上を輸入品に頼っているのが現状。就農者が減ればそれ以上、輸入に頼らざる得なくなる。

田代さんは、「高齢化だけが問題じゃない。もっと魅力ある農業の仕組みを作れば若い世代に興味を持ってもらえるはずだ」と考え、20年前、新たな農業への道を模索し始めた。

新しい農業の手法を模索

「手間がかからず、元気な作物が収穫できる方法はないだろうか」

農業の魅力は、丹精込めて作った作物の成長を見守り大きな収穫を得ること。けれど、天候にも左右され、収穫までの管理が大変だというイメージから若い人に評価されにくい。

特に梨は冬場の剪定作業がとても難しいとされていて技術が必要だ。「次の担い手」にバトンを渡すには、まずはこの剪定の難関をクリアしたい。そこで、たどり着いたのが果樹と果樹をつなぎ合わせる「樹体ジョイント仕立て」だ。

通常の果樹より剪定の手間が各段に減り、管理が格段に楽。但し、通常の3倍以上の果樹が必要となるため、初期投資が大きいという。

けれど田代さんは、将来性と面白さを感じてチャレンジすることを決意。同栽培方法を研究し考案した神奈川県農業技術センターへ何度も足を運び、技術を習得。田代さんが所有する畑では、10年ほど前から徐々にジョイント栽培に移行し、果樹園の50%まで拡大した。

剪定が楽になっただけでなく、通常の棚状に比べてY字に角度が付いた枝のおかげで実の収穫率が上がったこともプラスになった。結果的に初期投資の大きさは、回収できると実感したという。

「樹体ジョイント仕立て」は、神奈川県農業技術センターが考案し、特許取得されている技法

ジョイント栽培で農業を身近なものに

剪定も簡素化でき、収穫率もあがれば、梨栽培初心者でも気軽にチャレンジできる。
この方法をもっと広めたい。現在はまだ道半ばだが、魅力を上手に発信できれば若い人にも興味を持ってもらえるだろう。

「自分たちがバックアップする形でスタートできれば今より多くの人に栽培してもらえる」

農業にトライしてみたいという若い世代にも、定年退職後の第二の人生の楽しみ方としても、「その人に合った農業」のシステムを作ることも視野に入れているという。

ひとしお土づくりにかける思い

「できるかぎり自然に近いもので」という思いから、自然界に存在している「菌」の力で土壌改良を試みた。さまざまな物を使う中で、たどり着いたのは乳酸菌。土に混ぜるなど使い方や量などは手探りで、少しづつ試しながら前に進んだという。果実は大きく実り、味も良くなった。驚いたのは集荷後の実の日持ちも良くなったこと。農薬の使用量もかなり減り「良いことづくめですね」と嬉しそうに笑う。

ECサイト販売で販路を拡大

「大川三世代」として、収益を上げるために始めたネット販売は、日本全国の人に「伊万里梨」を知ってもらうきっかけになった。
それは先人が苦労して開墾し生まれた「伊万里梨」復活のきっかけにもなる。
「あきらめて終わらせるのは簡単」。絶やすことなく継承するための苦労を大川三世代のチームとして楽しんでいるようにさえ思える。

加工品開発で農園にカフェを併設

ホームページをつくり、ネット販売も始めたことで観光農園に足を運んでくれる人も各段に増えた。
そこで、6次産業として加工品の開発と販売を考え始めた頃、友人を介してパティシエと出会った。洋ナシと比べ加工に向いていないと言われる和梨のスイーツづくりはシンプルな梨のコンポートからスタート。メンバー全員が試食して意見交換をする試行錯誤を繰り返し、梨のスイーツが完成。4年前に農園横に収穫時期限定でカフェを開き、梨を使ったパフェやケーキなどのスイーツを販売したところ、SNSや口コミでも評判が広がった。現在、カフェで人気となったチーズケイクは、梨以外の季節のくだものもトッピングしてECサイトでも販売し、全国に”大川三世代ファン”を増やしている。

大川三世代のこれから

一番の目的である「伊万里梨」の継承。そのための就農者を増やすことはそう簡単ではない。でも、田代さんは「楽しそうに仕事をしているね」と、声を掛けられる事が増えたといい、「自分たちが、ワクワクしながら楽しくやっていれば、興味を持ってくれる人も増えるでしょう」と笑う。

今までの百年を次の若い世代に、そしてこれからの百年に・・・。

「やりがいに夢と希望をプラスして魅力あるバトンに変えたい」と、目を輝かせながら目標を語る田代さんが話す大川三世代の取り組みは既に、聞く人の心をワクワクさせるものだった。

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